はじめに
「へ」 という文字の由来については長年謎とされてきましたが、大正時代に「部」の字から生まれたとする説が定説となりました。正倉院文書の研究により、「部」の旁が崩れて「へ」になったとされています。
『へ』の歴史
ひらがなの「へ」の歴史は、日本の文字体系の発展と密接に関連しています。
奈良時代(710年-794年)には、漢字の音や訓を借りて日本語を表記する万葉仮名が使用されていました。この時期、「へ」に相当する音を表すために「部」の字が使われていたと考えられています。
平安時代(794年-1185年)に入ると、万葉仮名を簡略化した仮名文字が発展し始めます。9世紀中頃には、貴族の男性たちによって私的な文書でひらがなが使用されるようになりました。この過程で、「部」の字が徐々に簡略化され、「へ」の形に近づいていったと推測されます。
しかし、「へ」の具体的な成り立ちについては、長い間謎とされてきました。江戸時代の国学者たちも、その由来を明確に解明することができませんでした。
大きな転機となったのは大正時代です。
大矢透による『音図及手習詩歌考』の発表により、「へ」が「部」から生まれたとする説が提唱されました。この説は、正倉院所蔵の奈良時代の文書を根拠としており、「部」の旁(つくり)である「阝」が崩れて「ア」や「マ」となり、さらに簡略化されて「へ」になったと主張しています。
この説は広く受け入れられ、現在では「へ」の成り立ちに関する定説となっています。ただし、11画もある「部」の字が1画の「へ」に変化したという点で、他のひらがなの成り立ちと比べて特異な例と言えるでしょう。
明治時代に入ると、1900年に小学校令施行規則によってひらがなの字体が標準化され、現在のような「へ」の形が公式に定められました。これにより、「へ」を含む50音のひらがなが日本の公教育において統一された形で教えられるようになりました。
このように、ひらがなの「へ」は、漢字から万葉仮名を経て、平安時代の簡略化、そして明治時代の標準化を経て、現在の形に至ったのです。その歴史は、日本の文字文化の発展を象徴する一例と言えるでしょう。
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